綱島 理友
(ツナシマ・リトモ)
綱島 理友(つなしま りとも、1954年8月15日 - )は、神奈川県横浜市出身のコラムニスト・エッセイスト。
東京都立桜町高等学校から日本大学芸術学部美術学科(デザイン専攻)卒業。勁文社勤務の後、フリーとして執筆活動を開始する。
ペンネームの「綱島」は住んでいた横浜市港北区の地名「綱島駅 綱島」、また「理友」はイタリア、フィアット FIAT社の小型車フィアット・リトモ リトモから採っている。
1963年、9歳の時に大洋ホエールズ子供会に入会して以来の横浜ベイスターズファンである。綱島が子供会に入会した当時の大洋は名将と呼ばれた三原脩が監督を務めていたものの、大洋監督に就任した1960年以降の成績は日本一→6位→2位→5位→2位と、まさに乱高下を繰り返していた。1962年・1964年は優勝に手が届く位置につけながらも、土壇場で阪神タイガースに逆転を許している。当時の阪神のビジターユニフォームは背番号が明朝体。川崎球場に通い詰めた綱島は今でも明朝体の数字を見るたびに子供時代の悪夢がよみがえるという。ちなみに憧れの選手は近藤和彦で、同じ横浜ファンのやくみつるが著書「ベイスターズ心中」の企画で近藤から天秤打法を直接指導されていることに対して、「罰当たりなほど羨ましい」と評している。
(Wikipediaから自動的に取得しているため、本人と異なる情報が表示される場合があります。)
東京都立桜町高等学校から日本大学芸術学部美術学科(デザイン専攻)卒業。勁文社勤務の後、フリーとして執筆活動を開始する。
ペンネームの「綱島」は住んでいた横浜市港北区の地名「綱島駅 綱島」、また「理友」はイタリア、フィアット FIAT社の小型車フィアット・リトモ リトモから採っている。
1963年、9歳の時に大洋ホエールズ子供会に入会して以来の横浜ベイスターズファンである。綱島が子供会に入会した当時の大洋は名将と呼ばれた三原脩が監督を務めていたものの、大洋監督に就任した1960年以降の成績は日本一→6位→2位→5位→2位と、まさに乱高下を繰り返していた。1962年・1964年は優勝に手が届く位置につけながらも、土壇場で阪神タイガースに逆転を許している。当時の阪神のビジターユニフォームは背番号が明朝体。川崎球場に通い詰めた綱島は今でも明朝体の数字を見るたびに子供時代の悪夢がよみがえるという。ちなみに憧れの選手は近藤和彦で、同じ横浜ファンのやくみつるが著書「ベイスターズ心中」の企画で近藤から天秤打法を直接指導されていることに対して、「罰当たりなほど羨ましい」と評している。
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