杉村 楚人冠
(スギムラ・ソジンカン)
杉村 楚人冠(すぎむら そじんかん、1872年8月28日 - 1945年10月3日)は、新聞記者、随筆家、俳人である。本名は杉村 廣太郎(すぎむら こうたろう)。別号は縦横、紀伊縦横生、四角八面生、涙骨など多数。
1872年8月28日、和歌山県和歌山市にて出生。父は旧和歌山藩士の杉村庄太郎。
3歳の時、父と死別。以来、母の手で育てられる。
16歳で和歌山中学校(のちの和歌山県立桐蔭高等学校)を中退し、法曹界入りを目指して上京。英吉利法律学校(のちの中央大学)で学ぶが、これも中退。アメリカ人教師フレデリック・イーストレイク イーストレイク(Frederick Warrington Eastlake)が主宰する国民英学会に入学し、1890年卒業。彼の英語に関する素養は、ここで培われたと思われる。1891年、19歳にして『和歌山新報』主筆に就任するが、翌1892年再び上京し、自由神学校(のちの先進学院)に入学。その後、本願寺文学寮の英語教師を勤めながら『反省雑誌』(のちの『中央公論』)の執筆に携わるが、寄宿寮改革に関する見解の相違から、1897年、教職を棄て3たび上京。在日アメリカ公使館の通訳を経て、1903年に池辺三山の招きにより朝日新聞社に入社した。
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1872年8月28日、和歌山県和歌山市にて出生。父は旧和歌山藩士の杉村庄太郎。
3歳の時、父と死別。以来、母の手で育てられる。
16歳で和歌山中学校(のちの和歌山県立桐蔭高等学校)を中退し、法曹界入りを目指して上京。英吉利法律学校(のちの中央大学)で学ぶが、これも中退。アメリカ人教師フレデリック・イーストレイク イーストレイク(Frederick Warrington Eastlake)が主宰する国民英学会に入学し、1890年卒業。彼の英語に関する素養は、ここで培われたと思われる。1891年、19歳にして『和歌山新報』主筆に就任するが、翌1892年再び上京し、自由神学校(のちの先進学院)に入学。その後、本願寺文学寮の英語教師を勤めながら『反省雑誌』(のちの『中央公論』)の執筆に携わるが、寄宿寮改革に関する見解の相違から、1897年、教職を棄て3たび上京。在日アメリカ公使館の通訳を経て、1903年に池辺三山の招きにより朝日新聞社に入社した。
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