徽子女王

(キシジョオウ)
徽子女王(きし(よしこ)じょおう(名前は正確には「徽」の字の山と糸の間に一が入る)、延長 (元号) 延長7年(929年) - 寛和元年(985年))は平安時代中期の皇族、歌人。醍醐天皇皇孫。式部卿宮重明親王の第一王女、母は藤原忠平の次女藤原寛子 寛子。朱雀天皇 朱雀朝斎宮 伊勢斎宮、のち村上天皇女御。別名斎宮女御、または承香殿女御。三十六歌仙および女房三十六歌仙の一。
承平6年(936年)、時の斎宮斉子内親王(醍醐天皇皇女)の急逝により、8歳で伊勢斎宮に選ばれる。天慶元年(938年)、10歳で伊勢へ下向。この時の発遣の儀(出発前の儀式)は朱雀天皇が物忌中のため、外祖父の摂政忠平が執り行い、また群行には長奉送使(斎宮を伊勢まで送り届ける勅使)として伯父の中納言藤原師輔が同行した。同8年(945年)、母の死により17歳で退下、帰京。
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