日高 敏隆
(ヒダカ・トシタカ)
日高 敏隆(ひだか としたか、1930年2月26日 - )は、日本の男性生物学者の一覧 動物行動学者。京都大学名誉教授。日本に新興の動物行動学が紹介され始めた頃に日本にこの分野を紹介して研究を始めた草分け期の研究者であり、また多国語に堪能であるため、この分野を開拓したコンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンらの著作の日本語訳や、自ら記した一般向けの啓蒙書も多い。
東京都渋谷区出身。少年時代から昆虫採集に熱中するいわゆる昆虫少年であり、当時は昆虫少年同士の全国的な文通や同人誌を通じたネットワークがあり、日高も世代の近い養老孟司や同年生まれの矢島稔ら、その後昆虫少年からプロの研究者になっていった人々と、その頃から交流があった。小学校時代から昆虫学者を志していたが両親の無理解に苦しみ、また当時通っていた小学校のスパルタ教育に馴染めず登校拒否に陥り、自殺を考えたこともあるが、担任教師が両親に掛け合って、日高が昆虫学の道に進むことを承諾させると共に、より自由な校風の麻布の小学校に越境入学させたことで命を救われた。旧制成城高等学校(在学中に学制改革を経験し、成城学園となる)で関心の対象が動物学に移り、1952年に東京大学理学部動物学科を卒業。昆虫を研究材料とした生理学的研究から、次第に新しい動物行動学の要素を取り入れた方向に研究を発展させていった。昼間岩波書店に勤務し、夜間東京大学の研究室で研究を続けていた駆け出しの研究者の頃、動物学科の後輩の畑正憲と交流を持つ。東京農工大学講師・助教授・教授を経て、1975年に京都大学教授へ就任。1993年に京都大学を退官した後は、1995年から滋賀県立大学初代学長。現在は総合地球環境学研究所所長。
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東京都渋谷区出身。少年時代から昆虫採集に熱中するいわゆる昆虫少年であり、当時は昆虫少年同士の全国的な文通や同人誌を通じたネットワークがあり、日高も世代の近い養老孟司や同年生まれの矢島稔ら、その後昆虫少年からプロの研究者になっていった人々と、その頃から交流があった。小学校時代から昆虫学者を志していたが両親の無理解に苦しみ、また当時通っていた小学校のスパルタ教育に馴染めず登校拒否に陥り、自殺を考えたこともあるが、担任教師が両親に掛け合って、日高が昆虫学の道に進むことを承諾させると共に、より自由な校風の麻布の小学校に越境入学させたことで命を救われた。旧制成城高等学校(在学中に学制改革を経験し、成城学園となる)で関心の対象が動物学に移り、1952年に東京大学理学部動物学科を卒業。昆虫を研究材料とした生理学的研究から、次第に新しい動物行動学の要素を取り入れた方向に研究を発展させていった。昼間岩波書店に勤務し、夜間東京大学の研究室で研究を続けていた駆け出しの研究者の頃、動物学科の後輩の畑正憲と交流を持つ。東京農工大学講師・助教授・教授を経て、1975年に京都大学教授へ就任。1993年に京都大学を退官した後は、1995年から滋賀県立大学初代学長。現在は総合地球環境学研究所所長。
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